昭和40年02月01日 朝の御理解



 今年の冬はおかげで、お広前にストーブが座りましたから、寒さを一つも感じません。一日こうして奉仕をいたしておりますと、もう体が冷えきってしまったり、足の先が冷とうなっておりましたけれども、今年はまだその冷えきることもなからなければ、足が冷たいと感じたことが無いほどです。またこの広さにあのストーブひとつなんですけれどもね。私は感じませた?。お互いの心の中にです。
 あのストーブのような暖かさというものがあったら必ず、その周辺が暖かい一つの雰囲気で、その雰囲気に包まれる人達が、冷たいとか寒いとかという思いをせんですむだろうと思うんです。今日は、御神前に出らして頂いたら、あのストーブをしきりに頂くんですよね。どうでもひとつ皆さん、お互いが、様々な難儀を持たないものはありませんけれども、その難儀が、いうなら燃料と同じです。石炭なら石炭があるだけではいけません。石油があっただけではいけません。
 いわば私共が先ずストーブにならせてもろうて、その難儀を一つの燃料とさしてもろうて。ね。私はあの三代様、二代様だったでしょうかね。或る教師の先生に、お道の教師の先生が、「私は無学でその何にも分かりませんが、どのような信心さしてもろうたら、人が助かりますでしょうか」と言うて〔お伺いされた〕。「親切一つあれば人が助かります」と仰ったそうです。どうでもその私共の心の中に親切があるかどうか。
 私はどうでも、その自分の心の中に親切を、がない、それではですね、自分も助からなければ人も助かりません。自分も寒い寒いといわなければなりません。周囲の者もやっぱり寒い寒いというとかにゃなりませんません。ですから暖かいということは親切と。只それだけのことではありますまいけれども、そういうようなものが本当にあの、親切というてもピンからキリまでございましょう。
 いよいよ相手に通うような、親が子を思う切なる心というようなその親切な心がです、誰彼なしに使えれるようなおかげを頂きたい。皆さんの心の中に、ストーブの中に赤々燃えておるようなその暖かさがあるかどうか。暖かいところでなければ、良いものも育ちません。冷たい心、冷たい家庭、人が寄りつきません。それでは家の繁昌にもなりません。ね、いわゆるお広前の繁昌ということは。
 その中心の先生の私は、暖かさにあると思う。家の繁昌は、その中心の主人の暖かさにあると思う。今日はそのひとつ、ほんとに暖かい、または親切とかというようなものに取り組んでね、自分も暖かいなら、周囲の者も暖かく、住み心地の良い家庭に、社会に、お広前にしていきたいと、そういう願いのもとに、特におかげ頂きたいと思います。おかげ頂かねばなりません。